実は自分、昔は多様性に富んだ日本のドラマ・漫画・アニメに感心した時期はありました。が、ここ数年はこれらに興味を失いつつありそうなことを考えてみたら、その原因のひとつは「敬語やお世辞の多用」かもしれないと思います。
「このひと、多分これからは『いつもお世話になっております』って言うんですね」と思ったらやっぱり。
つまり予想できる方に進む会話はかなり多い。
そもそも日本語自体は発音の音節が多い言語ですなので、
(中国語は一文字ごとに音節はひとつしかないから)
漢字を無くして仮名だけで書くと文字の長さはかなり伸びるし、日本語を話すと音節は多すぎる。
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東京=とうきょう=日本語では5音節、中国語では2音節のdong jing
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(故に日本語では比較的、外人にとって迷惑に思える略語の多さ)
これだけではない。場合によっては言わねばいけない敬語と色々なお世辞も含めると、さらに文字・音節は多くなる。
要するに、日本語作品の脚本では以上の言葉使いは比例的に一定の数量を占めるではないか。
もちろん、敬語やお世辞を言うことからいえば、会話している人たちの関係を見せるとか、様々な役割もあるので、否定するつもりはないです。おしゃべりが面白い日本人もかなりいるのですし、このようなことで面白くなくなることはない。
日本語の繊細・丁寧が好きな一方、それなりの面倒臭さ・予想できる会話の進み方については、最近嫌いかもしれません。
- May 22 Sat 2010 08:41
日本の脚本で多用した敬語やお世辞が会話の意外感を無くす
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